コンスタンチン・リフシッツというウクライナ出身のピアニストのコンサートを聴いてきました。
動機はベートーヴェンの後期ソナタがプログラムだったためです。彼のことはNHKのクラシック倶楽部などの番組で観て少し知っていました。
演奏は少し挑戦的なもの・・、グールド以来、バッハ演奏を得意とする演奏家の特徴といえそうなのが、19世紀のロマン主義的な解釈を取り除き、
対位法的な解釈といいますか、純粋に楽譜にある音の上下や重なりなどの音符の効果をどう生かすか、という視点への切り替えをした演奏する、
という傾向があるように思え、今回のリフシッツの演奏からも同じ志向性が感じられました。
そのため、今までのベートーヴェンのピアノソナタの様々な各演奏がスタンダードとして記憶にある方にとっては、主旋律の描き方などに
かなり違和感のある演奏に感じられた方が多かったたようで、前半でお帰りになられた方が5%くらいいた(後半の席の空き具合から)ように
思われました。
私は、前半の30番、31番は、彼の解釈による演奏を心から楽しみました。特に30番3楽章の変奏曲と31番の3楽章のフーガは、
展開ごとに音楽の変化を興味深く味付けする演奏が、これらの曲の可能性の一つとして“有り”と思ったのです。
しかし32番のアリエッタについては、私にとって200以上の演奏を聴き、その中から好きな傾向が固まりつつあるこの曲において、
リフシッツ独特の解釈を伴った演奏には違和感を覚えてしまいました。
中盤から後半にかけて、好きなところだけを様々なコントラストをつけたのに対し、前半の変奏部はあまりに無難な演奏で、
前半と後半の解釈が分裂しているなぁ、と。
アリエッタの前半部は方向性なく弾くと単調で退屈な音楽になる危険をそのまま犯し、後半だけ異様なまでのリズムや音色などに対比を効かす。
リフシッツの風貌は50歳代にみえるものの、実年齢36歳の彼の“若さ”を露呈した演奏のように私には思え、イマイチでした。
ただそうは言っても、過去の名演奏をなぞったような無難な解釈の演奏を聴かされた訳ではないので、若い彼のその野心を買いたいと思います。
彼はまだ30代半ばで、発展途上と言える年齢です。この歳で演奏が老成して完成していたらむしろ気持ち悪いですし、
たとえ若くても、もしただ無難な演奏をあと20年重ねたところで、将来の発展は期待できないと思います。
その意味で、リフシッツの挑戦を(32番2楽章の演奏においてはその成果がイマイチと感じたとはいえ)評価したいと思いました。
もう一つ頭に残ったのは、今回のリフシッツと、アシュケーナージの甥のスヴェルドロフに感じたことの共通点について、です。
同じ旧ソビエト出身の35歳前後のピアニスト、という共通項をもつ2人に感じたのは、ベートーヴェンを当たり前には弾かない、ということです。
どちらのピアニストも、聴衆に向かって「もうこの曲のスタンダードな演奏がどのように演奏されるかは既にご存じでしょ?」と
問いかけているかのような演奏だった、ということです。
そのうえで、この曲は“こんな風にも弾け、こんな風に音は響きますよ、皆さん、これをどう評価されますか?”と問われているかのようなのです。
もしかしたら、現代のロシア圏では、クラシックを現代で弾くには、現代なりの解釈で取り組まなければならない、とかいう風潮でもあるのかしらん、
という勝手な推測を想像させるのです。(まったく私の独断と偏見で根拠はゼロです。)
それらを私は面白く感じましたが、ネットなどを検索していると、日本の聴衆はべートーヴェンの演奏はかくあるべし、という論調が多く、
やはり日本から個性的な芸術家が生まれる可能性は、限りなく低そうだなぁ、などと思ってしまう私です。